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7月15日
05:00けたたましい電話「義母危篤]の一報に妻は泣き崩れる。
励ましながら帰省の準備を急がせ、俺は両方の荷物を車に積み込み鹿児島に向かって出発、妻は飛行機で帰省、
間に合う事を祈ったが、妻が鹿児島空港に到着する前に義母(93歳)は帰らぬ人となってしまった。
俺は門司で一泊し、翌日の昼に妻の実家に到着。
あまりに急だった為、、義兄夫婦は葬儀の準備でてんてこ舞い、妻と妹は憔悴している義父に付き添い励ましている。
今夜は御通夜で明日は告別式。

(神式葬儀)
神式、祭壇の中央に注連縄が張られ、神社から神主さん三人が来て葬儀を執り行い、弔問客は数珠は持たず榊を献花し、弐拝礼、弐拍(50日経過するまで音は立てない事)、壱拝礼する。
そして儀式が終ると、故人は神様になるそうです。
義母が亡くなり悲しい出来事でしたが、初めて見る神式葬儀に驚く事が多く、新たな事を知る機会になりました。
実家付近の宿泊施設全てがビーチバレー大会で3日間満杯、やむなく20kmほど離れたリゾートホテルに妻と宿泊。

ホテルの部屋(9F)から観た志布志湾



以下の写真は初めて鹿児島に行った時、義母の運転でドライブしたときのコースです。



19日妻と共に車で鹿児島を発ち、20日帰宅。
05:00けたたましい電話「義母危篤]の一報に妻は泣き崩れる。
励ましながら帰省の準備を急がせ、俺は両方の荷物を車に積み込み鹿児島に向かって出発、妻は飛行機で帰省、
間に合う事を祈ったが、妻が鹿児島空港に到着する前に義母(93歳)は帰らぬ人となってしまった。
俺は門司で一泊し、翌日の昼に妻の実家に到着。
あまりに急だった為、、義兄夫婦は葬儀の準備でてんてこ舞い、妻と妹は憔悴している義父に付き添い励ましている。
今夜は御通夜で明日は告別式。
(神式葬儀)
神式、祭壇の中央に注連縄が張られ、神社から神主さん三人が来て葬儀を執り行い、弔問客は数珠は持たず榊を献花し、弐拝礼、弐拍(50日経過するまで音は立てない事)、壱拝礼する。
そして儀式が終ると、故人は神様になるそうです。
義母が亡くなり悲しい出来事でしたが、初めて見る神式葬儀に驚く事が多く、新たな事を知る機会になりました。
実家付近の宿泊施設全てがビーチバレー大会で3日間満杯、やむなく20kmほど離れたリゾートホテルに妻と宿泊。
ホテルの部屋(9F)から観た志布志湾
以下の写真は初めて鹿児島に行った時、義母の運転でドライブしたときのコースです。
19日妻と共に車で鹿児島を発ち、20日帰宅。
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